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トシの気まぐれ日記
 このページでは私の今までの経験談(ビザやグリーンカード取得の経歴、会社設立など)から個人的な旅行についてなど、その時々で感じた事を少しづつ書いていきたいと思います。ぜひお時間のある時にでもぜひお読みください!
◆退職・渡米・強制送還・ビザそしてグリーンカード 
   1≪退職≫
   2≪渡米・強制送還≫
   3≪ビザ取得≫
   4≪ニューヨーカーとしてスタート!
   5≪グリーンカード≫
◆世界で一番ロマンチックなホテル
◆WTC
◆停電の国、ドミニカ共和国


■■退職・渡米・独立・ビザ■■

今回はアメリカ永住に至るまでの私の経験をシリーズでお話しします。これからアメリカに住みたいと考えてる方や働きたいと思ってる方にちょっとした参考になれば幸いです。

▼退職 (シリーズ1)

大学を卒業して外資系製薬会社に入社。多くのビジネススキルや経験を得られたこの8年間は私の人生にとって非常に大事な時期だったと思います。当然、会社の英会話クラスの外人講師だった現在のワイフとの出会いも(笑)

サラリーマン5年目前後から色々な意味で余裕が出始め ただガムシャラに会社で働く事よりももっと幅広く色々な事を経験しようと考えました。その中でも輸入の仕事は時代の波に乗って思った以上に成功しました。

最初は単にワイフに会いに日本−NY間を年に何度か往復していただけでしたが若いサラリーマンの給料では飛行機代も馬鹿にならないと思い始めた事がきっかけです。

そこで少々ファッションに興味があった私はある知合いに洋服の卸業者さんを紹介してもらい何か素人にできる事はないかと尋ねました。最初はNY旅行の毎にオーダーどうりのモノをNYで買い付け、卸業者さんに買い取ってもらいました。

しばらく順調だったのですが ある日突然!その卸業者さんが買い取ってくれず多くの在庫を抱える事になりました。自分のアパートに溢れるばかりの商品。まったく予想もしなかった状況に私はしばらくショック状態でしたが 妙にポジティブにこれを逆にチャンスと思い、気を取り直して自分で直接、売り先を開拓する事を考えました。

次の日から地元の小さな洋服屋さんをいくつも飛び込みで周りなんと奇跡的にも1週間ですべてを売り切る事ができました。この事が自分に自信を与えたと同時に当然ながら卸業者さんに売るより利益が上がった事に気を良くした私は製薬会社で学んだセールストークと持ち前の調子の良さでドンドン契約先のお店を増やして行きました。

NYの流行りのファッションをいち早く仕入れるバイヤーとしてスタートした訳です。当然、元々勤めてる製薬会社には内緒でしたが・・・。

ちょうどこの頃、アメリカモノが非常に流行りで何もかもが売れ なお且つ円高だった事も素人の小さなビジネスにとって大きな助けだったと思います。そのうち関東地域に30店舗を持つ大きなチェーン店との契約が成立、一気に売り上げが倍増し洋服だけでなくスニーカー、時計、アクセサリー、雑貨やオモチャなど流行りモノはすべて取り扱うようになりました。

いよいよサラリーマンの小遣い稼ぎでは言い訳がつかないほどのビジネスになり始めたこの頃から私の勤めていた製薬会社では世界規模で他社を合併吸収する話が出始めており人員削減、退職推進の通達が出る可能性もあり得ると噂を耳にするようになってました。

そこで退職推進の通達が出た時に辞めれば角も立たない上に もらえる特別退職金でアメリカに自分の会社が作れると考えました。タイミングを見計らって退職推進の通達と同時に辞表を出して スムーズに退職。その上、特別退職金が通常の3倍という予想を遥かに越えた1000万円近い金額となり渡米への不安な気持ちも何処かに消え すべてがニューヨークに向って走りだしました。

シリーズ2<渡米>に続く・・・ 戻る


▼渡米−強制送還− (シリーズ2)

ちょうど退職が年末だったのでどうせなら年内中にNYに渡り彼女(現在の妻)とニューヨークでカウントダウンをして新しい人生のスタートに相応しくNYで新年を迎えようと考えました。

しかし渡米準備は思ったより大変で,住んでいたアパートは退職と同時に引き払わなければなりませんでしたし実家に一旦戻るよりはそのままアメリカに行った方が面倒でないと考え サラリーマン8年間で溜まった荷物を2〜3日で処分しなくてはならず大騒ぎでした。

すべてが終わったのが12月31日の朝、そのまま夕方の飛行機であわてて日本を出発。私にとって大きな門出でもあったので飛行機はビジネスクラス。快適な14時間の旅を終えてJFK空港到着、入国審査、税関そして彼女がお迎えとスムーズに行く予定でしたがここで信じられないハプニング!

なんと入国審査官に今までの出入国の経歴や所持金などを細かく聞かれ30分。挙げ句の果てにパスポートを取られてしまって移民局の取調室へ・・・。取調室では色々な人種の人間が10人前後待たされており1人づつ呼ばれては尋問を受けるという状況で私もすぐに呼ばれました。

取り調べの理由は出入国が頻繁でビジネスビザなしに仕事をしてるという疑いがあるという事。確かにビジネスビザは当時、持ってませんでしたが3ヶ月以内の滞在における短期商用については旅行ビザで認められてます。しかしながら移民局の審査官には大きな権限が与えられていてどんな理由があろうと審査官が認めなければ入国はできないそうです。

事情を色々と説明してもまったく聞き入れてもらえず 結局、その場でなんと手錠と足錠をかけられ完全な罪人となってしまいました。麻薬の運び屋と言う疑いもあるのか私のスーツケースやカバンもすべてあけられコンタクトケースの中まで入念にチェック。

私の身体検査(服もすべて脱がされ)までされ 夕方から始まった取り調べが終わったのが夜中過ぎ。この間、私は手錠と足錠をかけられたままで何もできず当然、空港に迎えに来てくれていた彼女(現在の妻)に連絡もとれず途方に暮れるばかりでした。

当然、所持品からは何も見つからずこれで釈放かと思いきや手錠のまま私の3倍もあるかと思うほどの大きな2人に護送車に押し込められなんと!空港近くの留置場へ。 ここもまた何か非常に怪しい処で空港から車で15分程度の倉庫街の中の古びたビルで護送車が目の前に停まると自動的に大きなシャッターが開きそこにはまた数人の制服が私を待ち受けておりました。ここまできてしまうと私も恐くて何も抵抗できず建物の中に・・・。

すぐに囚人のような服(映画"逃亡者"でハリソンフォードが着ていた背番号付のオレンジ色のツナギ)と毛布とハンバーガーを渡されシャワー室へ。囲いもまったく無いシャワーで制服の人間の監視の中手早くシャワーを浴びた後、渡されたブカブカの靴とオレンジ色のツナギを着て留置場へ押し込められました。

そこは安っぽいパイプベッドが規則的に並んでるだけの殺風景なスペース。50人ほどを収容でき監視員が常時何人か待機してる薄暗い部屋でした。トイレとシャワーは同じ空間にあり仕切りも無く丸見え状態でした。

私が入るといきなりその怪しげな50人の人間にゾロっと寄って来られました。最初は何をされるのかと思いかなり恐かったのですが日本人などが来る事が少ない為か興味本意で色々な質問をされるだけでした。何人かと話をしてみるとやはり入国時のトラブルでここに留置されてる人ばかりで危険そうな人間もいなかったので安心して眠る事ができました。

次の日はまずい朝食の後、背番号で呼ばれてまた空港へ移動。空港に着いて手錠はすぐ外してもらえると信じてましたがなんと飛行機の席に着くまで外してもらえず他の旅行者に「どんな悪い事をした男なんだ?」と言わんばかりの顔でジロジロ見られ非常に恥ずかしい状況でした。

前日の日本からの飛行機と同じクルーが乗員だったので手錠姿で機内に入ってきた私にスチュワーデスさんが思わず「どうなさったんですか?」と・・・。「いや〜実は色々とあって・・・。ゆっくり帰りの14時間で話します」とそのまま私は眠りに入っていました。

シリーズ3<ビザ取得>に続く・・・戻る


▼ビザ取得−再入国許可申請− (シリーズ3

非常に貴重なアメリカでの留置場経験をして日本に帰らされた(?)私は先ず弁護士探しを始めました。やはりアメリカの移民局相手なのでNYでのコネクションの多い彼女(現在の妻)の知合いで有名な弁護士から日本にいるアメリカ移民法に詳しい弁護士を紹介してもらいました。

早速、アポイントメントをとり事情を説明したところ、事態はかなり深刻だと聞かされさすがの究極楽観主義(?)と言われる私も目の前が真っ暗になりました。しかしそれも記憶力に乏しい私には束の間、その日からビザ取得の為の書類作成をスタート。現在までにやってきた輸出入の実績をすべて証明できれば再入国許可をもらってビザも取れるだろうと言う弁護士先生の戦略。

まさかこんな事態になるとは想像もしてなかったので今までの書類はバラバラ、記録もメチャクチャ・・・。すべての記録をまとめるのにそれぞれの契約先に頼んで以前の売上や伝票などをコピーするなど時間と手間のかかる作業となりました。しかし「アメリカ再入国10年不可」「アメリカでの独立も無理」「彼女(現在の妻)とも会えない」と言う大きなプレッシャーで毎日、必死に書類づくりに励みました。

それでも弁護士とのやりとりも含めて2ヶ月前後かかりアメリカ大使館に提出。当然の如く、大使館も忙しい訳でやはりその上にまた1ヶ月以上待たされました。アメリカ大使館からの手紙には面接の上で判断するとの事。ビジネスビザの場合、面接が2〜3分間形式上あるそうですぐにビザがもらえますが私の場合は単にビジネスビザ申請ではなく強制送還の前歴を持つので面接に対して非常に抵抗を感じました。

面接日の前日は思うように眠れず当日も1時間も早くアメリカ大使館に着いてしまいました。門では重々しい装いの門番が警棒を持って立っていました。約束の時間になると愛想の悪い係りの人間が軍隊さながらの勢いでここに一列に並べとの事。私はオドオドしながらその列に並び大使館の中へとゆっくり入りました。郵送された書類を窓口に提出して呼ばれるのを待ちました。日本人だけでなく色々な国の人が様々な状況でここに来ているようでした。私の前に座っていたヨーロッパ人は窓口に何度も行っては係りの人間に怒鳴っていたりその横のアジア人の女性は窓口に向かって泣き喚いていたりと、ただでさえ緊張している私に追い討ちをかける雰囲気でした。

私の事情が複雑?な為か かなり最後の方で昼休みもはさみ、怒鳴り屋のヨーロッパ人も泣きじゃくりのアジア人もいつのまにか居なくなり数人だけが残っている状況で私は呼ばれました。あまりの緊張で返事のイエスもろくに出来ないまま、やっとの思いで窓口まで辿り着きました。当然、別室にて面接官の元、取り調べをされる覚悟でいたのですが
ひとコトふたコト言われただけで書類を渡されました。かろうじて元の席に戻り、しばらくして我に帰ったところで渡された書類をみると・・・ビザ!なんとビザがすでに発行されていたのです!ちょっと拍子抜けした感じでしたが、ともあれ念願のビザがとれたので何も言うことはありませんでした。早速、帰って荷づくりしNYへと再び旅立ちました!

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ニューヨーカーとしてスタート!

タイトルはカッコイイのですが毎日が失敗の連続でイメージ?とはほど遠いものでした。それもそのはず!私は海外の経験は観光旅行でしかなくホームステイや留学など当然した事もなく英語も話せずに来たのですからね。(笑)

でも彼女(奥さん)が学生で働く時間も無く得意先にはすでに注文をたくさんもらってるのでそんな事は言ってる暇はありませんでした。 先ずは今までの自分で開拓した仕入先の再検討。今までの量の数倍を取り扱えるようになった訳ですから仕入先も大きな卸さんに切り替える必要がありました。片言の英語で体当たりの毎日で自然と度胸が付きしばらくするとめちゃくちゃな英語でも何とか相手を納得させられる交渉ができるようになり自分の中で少しづつ自信が沸いてきました。

今、考えると少々無茶をしていたなと思うのですがこの頃から面白い事に英語だけの自信だけでなく色々なことに対しての自信ができ始め英語はもちろん、仕事もプライベートもドンドン上手く行くようになりました。

とは言っても文化の違いには驚かされる事も多く納得のいかない事、信じられない出来事がたくさんありました。例えば・・・
スーパーでお金を払う時などキャッシャーの人間はブスッとしてるだけでいくらかも何も言わずに手を出して金を払え!と言わんばかり。どっちがお客なのか分かりませんよね。

また毎月の電話代請求の間違え。日本ではほとんどない事ですがこちらでは頻繁にありカスタマーサービスに何十分も待たされてしっかり交渉しないとそのまま払わされる始末です。挙句の果てに絶対に誤らない!アメリカって面白いですよね。(?)

コレクトコールの請求もレートに間違いがあり会社に連絡すると散々、失礼な態度で対応された上に捨て台詞のように『いくらにして欲しいのか?』と言われ私もびっくり!冗談半分に本来のレートの3分の1の値段を言うとなんと!それでは半分でどうだ?と結局、割増請求されたおかげで徳をしてしまいました。(笑)

今もこれに近い事は毎日のようにありますが最近ではどんな事が起きるか楽しめるほどにトレーニング?され立派なニューヨーカーとして成長しました。(笑)

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WTC

≪2001年9月11日≫

テレビのスイッチを入れると煙に包まれたツインタワーが寝ぼけ眼に飛び込んできた。映画のシーンかとしばらく信じられない状態の中、いつもツインタワーが直接、眺められるうちの窓からも黒い煙を吐いている姿が。まもなくタワーTがスローモーションを見てるかのように崩れ落ちそしてタワーUも。妻も私もショックでしばらく無言状態。しばらくは何度も繰り返される映像にただ呆然とするばかり。単なる飛行機事故ではなくテロだと知った時、初めて我に帰って家族や友人が無事か電話をかけ始めた。まもなく電話回線がパンク。34ストリートに住むワイフの妹には家から出ないようにと伝えた。

≪9月12日≫

いつもネガティブな話題ばかりでニュースは見ないが今日ばかりは再びテロの可能性もあるので1日中ニュースを流した。ワイフの妹は一人暮らしなので街で万が一混乱などが起きた時の為になるべく一緒に居た。献血へ近くのセントビンセント病院へ。救出作業が思うように進まないようで関係者や市民には焦りが。ほとんどのお店はクローズ状態。エンパイヤ−ステートビルやグランドセントラル駅に爆弾が仕掛けられた可能性があると何度も避難命令があり不安な2日目を過ごした。

≪9月13日≫
衣類や靴、サンドイッチなどの食料を寄付しに23ストリートのチェルシーピアーズへ。ボランティアの人間が遠くから集まり市民、そして街を励ます姿が見られる。レストランやお店は所々オープンし始めた。あるチラシには毎晩、夜7時にストリートに出てキャンドルに火を灯し街全体でお祈りをしようと。昼間に寄付の為に行ったチェルシーピアーズのアイススケートリンクは冷蔵庫代わりで遺体の収容場所になるとのニュースを夜、聞く。

≪9月14日≫

14ストリートのサルベーションアーミーへボランティア活動の登録、学校など平常どうりで妻は学校へ。この辺はまったく正常どおりの街を取り戻しているように見える。まだ目の前の14ストリートからダウンタウンは侵入できない状況で多数の警察官がストリートを封鎖している。街のあらゆるスペースに日に日に増える行方不明の写真。ハードロックカフェなど大手のレストランは現場作業員にサンドイッチを寄付する為にボランティアを募っている。街では星条旗を車や軒先、Tシャツやバンダナとして身に付ける人が増え始めた。多くのお店で星条旗が売り切れになっていた。

≪9月15日≫

やっと14ストリートよりもダウンタウンが封鎖解除された。街はまったく通常どうりで人々は微笑み、笑い、罵り、怒鳴り合っている。車は渋滞で、飛ばしぶつかりレストランもすべてオープン。有名人の寄付の報道、ミリオン単位の高額な寄付もあり。ある銀行では個人で寄付した額の2倍をレッドクロスに寄付すると言うので我々も寄付しに行った。NY市の公衆電話は非常事態の為に無料となっていた。現場に数日間待機していたと思われる消防車が署前で消火用水を車から出しホースをクリーニングしている疲れた団員を見かけた。夜のニュースで今日は生存者の発見ゼロとの報道。

≪9月20日≫

不安な日々を過ごす国民へのブッシュ大統領の演説があった。先ず命をかけてハイジャックされた飛行機を墜落させテロを防止した勇敢な乗客の家族が紹介された。今回の事件は単なるテロではなくアメリカに対して行われた戦争として受けとめ全世界の協力と共に徹底的攻撃を行うと言う内容であった。

≪9月23日≫

毎日のテロのニュースに少々ダウン気味だったので週末を利用してジャージーショアにあるビーチサイドのB&Bへ私たちとワイフの妹の3人で泊まりに行った。事件の後でちょっと心配したが街の雰囲気はいつもと同じであった。9月下旬でビーチに泳ぐ人の姿もあり久しぶりに心身ともにリラックスできる日々を過ごせた。滞在の最後の日曜日、喪が明けて最初の日曜日であり事件から今まで半旗(弔意を表わす意味合いで国旗を一番上まで掲げない)であったアメリカンフラッグを力強く一番テッペンまで掲げる姿を多くの庭先で見かけられたのが印象的であった。

≪10月7日≫

NYU(ニューヨーク大学)やハーバード大学で映画について教える教授が大人向けに特別に10月から短期のクラスをすると言う。こんな時期なのでちょっと楽しい事をと思い応募した。これを受ける人に限り、毎週の試写会に無料参加できる。

ちょっと面白いのでこのクラスについて話すと… 毎回、公開前の最新映画を見て色々な面から映画を考える。クラスはタイムズスクエアの映画館を借り切り先ず教授が今回の映画のバッググランド(監督や俳優の略歴や代表作など)を説明。その後、映画を見る。ここからがこのクラスのスペシャルポイントで映画の後に出演した俳優がゲストでクラスに参加。演技についての難しさやストーリーづくりで困った事、撮影中でのハプニングやエピソードについて話す。当然、我々からも質問もできる。

映画好きにはたまらない内容。ぜひ機会があれば皆さんもNYに訪れてこんなクラスに参加してみるのも面白いですね。

その為、今日は朝から映画の無料試写会へ。映画館を出るとタイムズスクエアの人ごみがテレビにくぎ付け。とうとうアメリカがタリバンに攻撃を開始したとのニュース。何かしらアクションがあるとは知りながらもやはり人々の中に動揺があったようだ。

≪10月9日≫

今回の事件からエアーマーシャルを復活させる案がある。これは旅客飛行機に警察官を乗員とするシステムで以前にも実施されていたようだ。機内の安全性について話題となっている最中、ヒヤッとするニュースが飛び込んできた。アメリカン航空シカゴ行きの飛行機にて精神病歴のある男が「この飛行機はシアーズタワーに突っ込む!!」と叫びながらコックピットに走り込んだ。その瞬間、乗員も然ることながら多数の乗客が男を取り押さえようと駆けつけたと言う。最近の事件で敏感な乗客の勇敢な対応に少々安心させられたがコックピットへのアクセスを含めて機内の安全管理を根本から見直さなくてはいけないと感じる。

*シアーズタワー:1996年まで世界一高いシカゴの超高層ビル。現在はマレーシアのペトロナスツインタワーについで高いビル。

≪10月16日≫

今日のニュースで先日から騒がれてる「炭そ菌」、アンソラックスについて専門家の話があったのでご紹介すると・・・この菌はいくつかのタイプに分ける事ができ 今回の一連の事件で使われてるのは危険性の低いもので1件を除き抗生物質の投与で完治している。人から人への感染もなくまた吸入してもかなりの量を吸い込まない限り問題ないとの事。WTCテロ、戦争開始直後の出来事で不安も大きいが街での反応はほとんど感じられない。巷のガスマスクが飛ぶように売れてるような事態は全くみられない。街は全く正常どうりでむしろ活気に満ちている。今週の日曜日のタイムズスクエアは観光客で溢れるばかりで有名なディスカウントチケットの列が歩道からはみ出しるほどであった。

≪11月9日≫

今日は日本から叔父が来たのでディナーに出かける事になった。そこでWTC付近の経営難に陥っているレストランで食事をして少しでもニューヨーク経済に貢献しようと言うワイフのアイデア。

9月11日以降、12時間シフトで働くファイヤーファイターやポリス、ボランティアに毎日、無料で食事を提供していたレストランのひとつ「Bull Runブルラン」に出かけることにした。地下鉄レッドラインのWall street駅からすぐのアメリカン・クリエイティブ・クイジーンのお店。

駅を降りるとすぐに気が付くのが瓦礫の匂い。すでに2ヶ月近く経つ中、影響はまだ大きく残っている。ダウンタウンのドクターの話では喉の痛みを訴える患者が多いと言う。WTCの現場前を歩いたが未だに崩れかけた状態のビルが多く頭では分かっていても再びショックを感じてしまった。

レストランはWTCから2〜3ブロックの距離でいつもはウォール街のディーラーたちで毎晩、盛り上がるレストランであるが我々が食事をした夜は広い店内には数えるほどのお客しか居なかった。ウェイターに訪ねると通常、ランチで160食を捌いていたがテロ以降は30食以下とかなりのダメージ。そんな状況下の中でも心地よいサービスと素晴らしい食事を提供しNY市をサポートしているこのお店に心から感謝したい。ぜひ皆さんもNYにいらした際にはWTC付近でお食事をして頂ければと思います。

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世界で一番ロマンチックなホテル

今、世界で一番ロマンチックなホテルとして話題の場所がメキシコにあります。 正式名称ホテリト・デスコノシド。ブルックシールズやバル・キルマーなどの有名人も数多く訪れています。私達が滞在中も人気テレビ番組の"ER"の俳優やアーティストのデイブマシュー、ポールマッカートニーの娘でマドンナのウェディングドレスもデザインしたステラマッカートニーも見掛けました。

メキシコのプエルトバヤータから約100Km南下した全く人里離れた美しいビーチ沿いの広大な土地にたった20のコテージと2つのダイニング、スパ&ジャグジーを点在。何が特別かと言うとこのホテルには電気もガスも電話もありません。自然の生活をテーマに創られた全く新しいタイプのもの。皆さんがお泊りのコテージはビーチもしくはリバーサイドに面してそれぞれ独立して建てられた木造からぶき屋根。当然、電話も照明もありません。家具や小物はメキシコのトラディショナルなアンティークで仕上げられたチャーミングなデザイン。

少し想像がつかないと思いますので例えばこんな1日が過ごせます・・・朝は朝食前の簡単なルームサービスから始まります。それぞれのコテージに備え付けの小さな赤い旗を揚げるとシナモンの香りのメキシカンコーヒーと手作りクッキーを運んでくれます。ビーチとリバーを見渡せるように植物だけで囲まれたシャワーを浴びて朝食へ。畑から朝とってきたばかりのフルーツとちょっとスパイシーなメキシカンオムレツなどお好みのブレックファーストを。アクティビティーとしてはビーチやリバーでのバードウォッチングやフィッシング,カヤックやヨット,ウィンドサーフィン海岸での乗馬など。昼はバンガロー前のリバーを手漕ぎボートで渡りビーチフロントのダイニングでランチ。そのまま誰もいないビーチで見渡す限り何も無いメキシコ湾を眺めながら午後の日差しで日焼け。ビーチ横の海水のプールで読書も良いですね。夕方からはヨガのクラスやフェイシャル,ストーンマッサージなどで心身を整えた後はスチームサウナとハイビスカスの花びらが浮かぶジャグジーでリラックス。夜は月明かりの下、キャンドルライトでディナー。いくつもの流れ星を見るほどの星空は信じられないほど。ディナーの後は野生の海ガメが見られる事でも有名なコテージ前のビーチでかわいい海ガメの子供を海に帰すお手伝い。ひとり一人に手の平に乗るほどの小さな子ガメが渡され地元海ガメ研究者の合図で一斉に浜辺に離します。月の光りの下、甲羅を背負った小さな小さな彼らが荒波に向かって行く姿は素晴らしく勇敢で感動的。部屋に帰るとキャノピーベッドには真っ白なレースの蚊帳がかけられ部屋中のキャンドルが灯されホテリト・デスコノシドのロマンチックな夜は最高潮に達します。夜は窓を開けっ放しでお休み頂ければすばらしく美しい朝焼けが見られます。鳥の囀りや魚の飛び跳ねる音と共に目を覚ますのは大自然に溶け込んでいるようで大変に気持ちの良いもの。

宿泊に含まれている朝昼夕食はすべてホテル内の専用の畑や牧場で作られた材料,そしてビーチやリバーで捕れた魚介類で調理されます。味も今までに我々が素晴らしく毎食のおいしい料理で食べすぎて困るほど。特別なのは食事だけでなくゲストのハンドソープやシャンプーも環境を考慮した地元の草木を原料に作られたオリジナル。すべてにおいてこの夢の楽園を守るようにデザインされています。

テレビやラジオ、電話などに邪魔されない本当の自然の中でゆっくり過ごせるこのホテリト・デスコノシド。特別な人とぜひ訪れてみて下さい。

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<毎日3〜4回は停電する国、ドミニカン・リパブリック!>

NYで仕事を始めて最初にできた知り合いがドミニカ共和国のおマイク君。彼が久々に国に帰ると言う事で私を誘ってくれました。日本人にとって観光先リストの中にはあまり出て来ない国で珍しい事もありまた好きなカリブ海の美しいビーチも楽しめるのですぐに行く事を決めました。彼の実家に泊めてくれると言う事なので現地の人々の暮らしも体験できる貴重な機会だとも思いました。

空港までマイクのガールフレンドの車で送ってもらい、NYを出発!たった3時間ちょっとのフライトでドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴに到着。空港は非常に小さく日本の鉄道の駅ほど。さすがカリブ海!空港からかなりリラックスモードで入国審査と呼ぶほどのモノはなくすぐに空港の外へ。南国の暖かい空気を楽しんでいるとマイクの従兄弟フェルナンデスが古いおんぼろのカローラで登場!

先ほどのカリブのリラックスモードはフェルナンデスの恐ろしい高速運転で消え去りました。すれ違うのがやっとの小さなローカルな山道を100キロ近いスピードですり抜けて行きます。フェルナンデスだけではなくほとんどの車がそんな運転。私の手と額には汗。確かにおんぼろカローラのエアコンは壊れてましたがあの汗は確実に冷汗でした。

命がけの2時間ドライブの後、久々の帰国で先ずマイクが訪れたのは煙草畑を営むお爺ちゃん、お婆ちゃんの家。かなりの山奥で電気も水道もなく自給自足の山のてっぺん。からぶき屋根の古い農家でしたが大変のどかドミニカの田舎風景は素晴らしいモノでした。数十人ほどの小さな村にあってマイクが到着すると何処からか村中の人間がお迎えに。素朴な笑顔が大変に印象的でした。

お爺ちゃん、お婆ちゃんそして村中の人々とおしゃべりすると日が暮れ始めたので皆さんにお別れし、おんぼろカローラでマイクの実家へ。実家は郊外の住宅街にある一般的な木造住宅と言う感じで電気や水道はあるエリヤのようで正直言って少し安心しました。(笑)

マイクのお母さんは大変に大きな体格でいかにもスパニッシュなマザーで大きな声と身振りで暖かく迎えてくれました。早速、シャワーを浴びさせてもらっていると突然、停電。しばらくすると真っ暗な処にマイクのお母さんがキャンドルを持ってきてくれました。でも20分もすると電気は回復したので私はあまり気にしませんでしたが夕食の途中でもまた停電!

あまりに頻繁なのでマイクに訪ねるとドミニカは電気が足りないので病院など電気が不可欠な場所以外は1日に4〜5回は停電になるという事。日本では停電と言うと大騒ぎですがよく考えると一般家庭ではキャンドルを用意しておけば何でもない事。

ここでは毎回、夜に停電になると月明かりのキレイな夜はみんな家の外に出てご近所さんとおしゃべり。月の光の下で楽しい井戸端会議が始まります。言葉は分かりませんがNYで頑張っている息子や娘の話でもしてるのでしょうね。こんな停電を体験して南国のゆったりしたライフスタイルを学ばされました。

数日、実家に泊めさせてもらいその後は少し他の地域も周りたかったので北部のビーチ沿いのリゾートエリヤのプエルトプラータで独りで滞在しました。ここでの滞在は日に何度も停電する地元の生活など全く感じられない高級リゾート。ちょうど好きなビーチスポーツも飽きた頃、帰国となり空港でマイクと待ち合わせてNYへ戻りました。実は帰りも空港までフェルナンデスが送る予定でしたが、サント・ドミンゴ空港で直接、待ち合わせにしたので彼のスリリングなドライブを楽しまずに済みました(笑)

九州よりちょっと大きいだけの小さな国、ドミニカの本当の姿を見られた素晴らしい旅でした。

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